本質

最近古坂大魔王の動画をよく見ている。

古坂大魔王、最高に面白い。

最高に面白すぎるが、テレビにはあまり出ていない。これはなぜか、これは私たちの生き方にも関わってくる大きなテーマである。

まず、芸人として必要なことは何か

・人を笑わせることが大好きである

この一点に尽きるように思う。

しかし、話はこれだけでは済まされない。テレビの存在である。テレビに映ってもっと多くの人に笑ってもらいたいと思う気持ちも起こる。さらには実際問題人の性として、有名になりそしてお金持ちになりたいと思ってしまう。そのためにはテレビに出ることが必要になる。テレビに出るためにはオーディションに出、コンテストに勝つこと、そしてテレビの求める要求にこたえる必要がある。これが危険の始まりである。コンテストに勝つためにどうすればよいか、テレビの要求にこたえるためにはどうすればよいか、これを真剣に考えるようになってしまう。お笑いの本質である目の前の人を笑わせることを心から楽しませること、から遠のき、笑いのテクニックだけがついていく。

そして、テレビの中で生きるころには、人を笑わせることを楽しむよりも、笑いのテクニックで人を笑わせることがすごいだろ?的な感じになっていく人も多い。もちろん面白い、しかし笑いの本質とは何だろうとも思う。

 

古坂大魔王は違う。

古坂大魔王は地位や名誉や金を重要視していない。いつも、ただ目の前の人を笑わせていたいという気持ちが極めて強い、本当の芸人である。歳を取ると、売れなきゃ、ちゃんとしなきゃという思いが強くなってくる。あまり売れていない歳を重ねた芸人の笑えなさはそうした気持ちを感じてしまうからというのもある。古坂大魔王はただ目の前の人を笑わせるのが大好き、楽しいことが大好き、この一心でいつもやっている。とっても輝いて見える。

笑わせるテクニックだけが高いテレビの多くの芸人より、人を笑わせることが心から好きでしょうがない古坂大魔王は本物の芸人だなあと感じる。しかしどちらが劣っているというわけではない、テクニックをつけてたい、テクニックを披露するのが大好きだと本人が志向していてそれが実現していれば立派だし、大金を稼ぎたい、大金を稼ぐことが大好きだと思って大金を稼げていればそれもまた立派なことである。しかしそれは芸人ではなくテクニック屋、金稼ぎ屋というべきものでもある。自分は芸人であるのに金やテクニックに惑わされ道を逸れているのは少し残念というだけである。

 

 

自分の好きなことにひたむきに進む本物はやっぱりキラキラと見える。しかし稼ぎがなければちゃんとしていないとみなされがちであるが果たしてそうだろうか。自分と周りの人を幸せにすれば他に何が必要だろうか。そして、本物を貫けばだんだんと風向きが変わってくるとも思う。実際に古坂大魔王もじわじわと周りの風向きが変わってきているなあと感じる。

 

自分は何が好きなのか、何屋になりたいのか、それを定め、それに向かって日々歩んでいきたい。様々な誘惑は多い。惑わされないようにしなければいけない。

本物になりたいものだ。