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コンビニ人間よんだ

読書

昨日アメトークの「読書芸人」なるものを見て読書をせねばと簡単に感化され、今日は本屋に行ってきた。

最近お金もなくあまり本を読んでいないので本屋にあまり言っていなかったのだが、本屋はやはりわくわくするし良い。

このわくわく感は本屋に行って本屋を歩いて本を眺めて立ち読みし買うところで1つのピークがくるもので、家に帰って読むころには本屋で感じたほどのワクワク感はあまりなくなっていることもある。理系なのをいいことに読書をせずに大学まできたこともありそもそも活字に対してあまり渇望感がないのだが、本をたくさん読んだ後は言語感覚が鍛えられて言葉がよどみなく出るようになるという面白い体験もかつて感じたことや、本をたくさん読むことで様々な知識、感情に触れて人生が豊かになる点など、読書はやはり継続的にたくさん行っていきたいと感じる。しかし読んだほうが良いという理由から読むのではなく、自然と体が活字を求めて吸収するように読みたい。そうした読み方の変化はなかなか難しそうだが、いつかそうなれると信じて活字ともっと触れ合っていきたい。

 

とかなんだかんだ言っているが話を戻すと、活字受け入れ態勢不足のせいか本を買って帰ると本屋で感じたほどのワクワクがないゆゆしき事態を打破すべく、本屋で話が乗ってくるまで立ち読みして帰ってそのままの勢いで読むというのが良い流れなのかもしれないと思い、今日はその作戦を実行した。

 

アメトークに感化されたため感化されついでに番組内で薦められていた本を見た結果、第155回芥川賞の「コンビニ人間」を立ち読み。

半分以上読んだが、予想外に閉店が早く、気になった又吉大先生の花火も手に取って2点購入し帰宅。

帰宅して30分くらいで読了。中盤まで立ち読み作戦、なかなか良い作戦かもしれない。

 

普通であることが求められ、他人から見た普通である方が生きやすいと感じた主人公は、誰もが同じ制服を着て歯車として自分を出さずに働くコンビニバイトをずっと続けて生活している。他人の話し方、ファッションもバイトの仲間と同じようにし、自分でないパーツで自分を構成し、普通を保っている。

そして最後は、コンビニバイトをやめ久しぶりに入ったコンビニで、コンビニに必要なことが手に取るように分かり、まるでコンビニの声が聞こえるよう、そしてコンビニの音が自分の中で生き生きと再び奏で出したことから、自分は人間じゃない、コンビニ店員だと日が差したように気づくことで話は唐突に幕を閉じる。

 

毎日を生きる中で、周りから求められる価値観、当たり前、などに流されて、「自分」ではなく「周りが求める普通」になって生きているところがある。コンビニ店員だっていいじゃんと思うのだが人間でいなきゃというもう一つの思いに引っ張られてしまう、自分の気持ちに正直になろうとフッと爽やかに感じさせてくれた。

 

コンビニ人間

コンビニ人間