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billsイッツオシャンティートーキョー

日常

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まだ人通りもまばらな朝9時過ぎの表参道、東急プラザの7階に上がるとすでに店内は人であふれている。

そうです、billsです

 

bills知らないの?!と激しく驚かれてから1か月、bills初めて先輩と自称月一bills通いマスターの大学の同期(実際は5回目)とともに、ついにbillsデビュー果たしました。

いやしかしメニューの高いのなんの。しかし実においしい。単なるパンケーキ屋ではない。ここは上質な朝食、いやブレックファーストを上質な空間で食べられる非日常オシャンティー空間である。確かに休日の朝から朝日さんさんと差し込む表参道billsで朝食をとり、さらにその後は1フロアー下のスタバでゆったり読書でもすると、大都会東京の持つオシャンティーポテンシャルをこれでもかと享受でき、トーキョー so coolな気持ちにさせてくれる。自分もずいぶんミーハーだなと感じながらも、たったこれだけでなんともいえないこの湧き上がるいい休日な感じを味わえるなら安いものなのかもしれないと思ったりもする。そしてみんながそんな高揚感を持ったbillsという空間はなんだか自然とつられてテンションが上がる。

 

みんなはパンケーキに1500円も払っているのではない。この非日常オシャンティー空間とそこで感じられるこのオシャンティー気分にお金を払っているのだなあとなんだかみんなをかわいく感じたそんな土曜の午前でした。

 

 

コンビニ人間よんだ

読書

昨日アメトークの「読書芸人」なるものを見て読書をせねばと簡単に感化され、今日は本屋に行ってきた。

最近お金もなくあまり本を読んでいないので本屋にあまり言っていなかったのだが、本屋はやはりわくわくするし良い。

このわくわく感は本屋に行って本屋を歩いて本を眺めて立ち読みし買うところで1つのピークがくるもので、家に帰って読むころには本屋で感じたほどのワクワク感はあまりなくなっていることもある。理系なのをいいことに読書をせずに大学まできたこともありそもそも活字に対してあまり渇望感がないのだが、本をたくさん読んだ後は言語感覚が鍛えられて言葉がよどみなく出るようになるという面白い体験もかつて感じたことや、本をたくさん読むことで様々な知識、感情に触れて人生が豊かになる点など、読書はやはり継続的にたくさん行っていきたいと感じる。しかし読んだほうが良いという理由から読むのではなく、自然と体が活字を求めて吸収するように読みたい。そうした読み方の変化はなかなか難しそうだが、いつかそうなれると信じて活字ともっと触れ合っていきたい。

 

とかなんだかんだ言っているが話を戻すと、活字受け入れ態勢不足のせいか本を買って帰ると本屋で感じたほどのワクワクがないゆゆしき事態を打破すべく、本屋で話が乗ってくるまで立ち読みして帰ってそのままの勢いで読むというのが良い流れなのかもしれないと思い、今日はその作戦を実行した。

 

アメトークに感化されたため感化されついでに番組内で薦められていた本を見た結果、第155回芥川賞の「コンビニ人間」を立ち読み。

半分以上読んだが、予想外に閉店が早く、気になった又吉大先生の花火も手に取って2点購入し帰宅。

帰宅して30分くらいで読了。中盤まで立ち読み作戦、なかなか良い作戦かもしれない。

 

普通であることが求められ、他人から見た普通である方が生きやすいと感じた主人公は、誰もが同じ制服を着て歯車として自分を出さずに働くコンビニバイトをずっと続けて生活している。他人の話し方、ファッションもバイトの仲間と同じようにし、自分でないパーツで自分を構成し、普通を保っている。

そして最後は、コンビニバイトをやめ久しぶりに入ったコンビニで、コンビニに必要なことが手に取るように分かり、まるでコンビニの声が聞こえるよう、そしてコンビニの音が自分の中で生き生きと再び奏で出したことから、自分は人間じゃない、コンビニ店員だと日が差したように気づくことで話は唐突に幕を閉じる。

 

毎日を生きる中で、周りから求められる価値観、当たり前、などに流されて、「自分」ではなく「周りが求める普通」になって生きているところがある。コンビニ店員だっていいじゃんと思うのだが人間でいなきゃというもう一つの思いに引っ張られてしまう、自分の気持ちに正直になろうとフッと爽やかに感じさせてくれた。

 

コンビニ人間

コンビニ人間

 

 

 

環境省

就活

そろそろ就活せんとまずくね?ということから先週から就活を開始した。

遅いがよくぞやる気に火がついてくれたと喜ばしい気持ち。

やはり人間の細かい部分の大元は0と1からなるスイッチだなあと実感。

 

逸れた

ということで今日は農学部卒の環境省のOBがお話に来てくれるという会に行ってきた。

事務系、理工系、自然系の3人が話しにきてくれた。それぞれ1人ずつのため確かなことは言えないが、自然系の人より事務系の人のほうが物事を俯瞰的に把握し言葉も明確、頭の中も整理されている感じがした。これは別に自然系が劣っている分けでなく、事務系は法令事務官としてキャリアを歩んでいくということで、1年目から法律的なことに携わり、思っていることを言語化する能力が日々鍛えられること、さらには窓口業務をこなすことで省内で行っていること全体を把握でき俯瞰的にものごとをみられるようになることによるものである。それに対し自然系は、自然公園などの現場で起きていることを見て感じ、それを中央にフィードバックする、またそうした経験を重ね、ゆくゆくは霞が関で中心的な業務に携わる、といったように、俯瞰的とは逆の細かい目を持って現場の生の声的な視点を行政に生かすものであり、求められる能力も異なれば、頭の仕上がり方もまた事務官とは異なったものとなる。

しかしそうは言ったものの事務官の理路整然としたクリアな頭の良さ、素早く物事の構造をとらえられる俯瞰的な能力が頭がいいなあ、素敵だなあと思ってしまう。

悲しいことに理工系は時間がなく話を聞けなかった。

 

調べると、環境省は、「環境問題を、国民のために、新しい社会システム(制度)をデザインし解決する」ということを行う組織、環境問題は「科学」と「社会」の方程式であり双方の視点が必要とのこと。社会システムづくりを行えるのはとても魅力的。また自然と人間のかかわりを学んでいるこの学科出身としては実に整合性の高い方向である。

 

個人的に印象に残ったのは、環境省はスーパー風通しが良いということと、機動性が良いということ。後者はたとえて言うなら古い省庁は機関車、走り出すのは遅いが一度決めて一度走り出したら推進力はとても大きいのに対し、環境省はF1カー、すぐに動き出すが、動き出した後も少しずつ方向が変わったりする、ということであった。

あとはふにゃっとした人が多いがチーム戦で強いというようなこと。

 

理工系と事務系の違い、また省庁とシンクタンクの役割とかかわりを調べなければ。

 

追記

理工系と事務系は入ってしまえばそこまで大きな違いはないようだ。(from環境省の質問コーナー)入るときは職種ごとに分かれてはいるが入ってからはそこまで違わないとのこと。しかし今日話しに来ていた方が理系からわざわざ事務系を受けたのはなぜだろう。

魅力的な人間とは

人間性

研究室には修士2年の先輩が1人いるわけだが、

人に仕事を振ることと人を信頼することのバランスは重要なのだと日々感じる。

 

人に仕事を振るということは分業により自分のリソースを他のことに裂けることでチームとして総合的な生産性をあげられるというメリットがある。

しかしいったん仕事を振ったからには振った相手を信頼し思うようにやらせるのが重要でありあれこれ口を出しすぎるのはあまりよろしくない。

なぜなら、振られた相手は、自分で考え抜き行動し結果を出すという一連のプロセスを経験でき目的達成能力の貴重な獲得機会となるべきものが、頻繁な口出しによりその機会を逸してしまう。

さらには、頻繁に口を出すということは結局自分のリソースを割いてしまっていることを意味し、分業による生産性向上という分業のメリットが失われてしまっている。

 

そしてそのように口出しをしてしまうのはなぜかと考えると、しっかり相手を信頼できていない点と、自分の思うように事を運びたい気持ちがある点という2点が大きな原因のように思われる。こうした人間性であるがゆえにイマイチ尊敬できないなと思ってしまうのである笑 どんな人にも高い能力があり、その能力はまだ引き出されてないだけで眠っているだけの可能性もある。相手のことを信頼して仕事を預け、言いたいことがあっても見守り、やり遂げた後に適切なフィードバックをする。もしくはどうしようもなく詰まったり方向性がまずい場合は適切なタイミングで最小限口を出す。これがその人の能力を引き出し高めるために必要であり人間として敬意を持って接する態度であるように思われる。

しかしこのように思ったことを先輩に言うのもはばかられる。自分が現段階まで生きてきて身に着けた価値でもってこうした判断を下しているわけで正しいという根拠はどこにもなく、こう思いましたこうしたほうがいいと思いますと助言することはもしかすると間違った方に相手を導いてしまう可能性もあるとも思うわけである。うむ、難しいですね人間性や人の教育って。

ブログ開設

ブログ開設した。

といっても日記的なポジションで使っていこうと思う。

 

頭の中を言語化してアウトプットするのにはトレーニングが必要であり自分にはまだトレーニングが足りない。

それには日記をつけて日々思考の整理を行うのはとてもよいのだがひとりで日記書くとサボるという悲しいデメリットが存在する。

ブログという体ならだれかしらがもしかして読む可能性も無きにしも非ずということで

・謎のやる気による、日記よりも更新頻度の向上

・少しはアウトプットを意識した文になる

といったメリットをもたらしてくれることを期待し、これから気づいたことや考えたことなどなど書いていきたいと思う。